「音符。」

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  • 公開日 2023年05月26日

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  •  田ノ上志郎は、五十三歳になって、少年時代のことを、昨日のことのように思い出すようになった。窓からは、母校の中学の校庭がみえる。その窓から、フォイッスルに従って一斉に駆け出している授業中の生徒たちをみていると、心がその頃に戻るのだった。  競い合って何者かになろうとしたあの頃。偏差値がすべての中学時代。中一の終わりに両想いになったみさとちゃんが広島へ転校していってしまい、尾道で一度だけデートした春休み。優等生だったみさとちゃんから、おたがい勉学に励みましょうという葉書が一枚だけやってきた。藤島武二の黒扇の女の絵葉書であって、志郎は、それにマリアを重ねたのであった。中学生の志郎にとっては、恋の哀しみを知りえた女の瞳の方が、同級生の女子よりも魅力的であって、それは、ひとつ年上の薫先輩への憧れにもつながった。両想いになって、著しく理科の成績を落とした志郎は、担任から、恋愛は、大学にはいってからにしろ、と中二の最初にいわれたのであった。  恋愛を封印してまで、すべきことが、あったあの日の夏のひかり。グランドを走っている生徒たちをみていると、それを思い出すのであって、もうあれから四十二年もたってしまったのだ。やりたいことをどんどんこなしていかないといけないな。  スケッチブックを取り出して、アングルのマリアを写す。それを写そうと思い立ったのは、チャールズの戴冠式をみたからだった。王座のナポレオンの白いふかふかとした毛皮を思い出したからである。あの頃は、ヴァルパンソンの浴女ばかりデッサンしていた。1855年のパリ万博にも出展された作品だ。そうして、三ツ矢サイダーの瓶とレモンをもデッサンしていた。美術部室にこもってばかりのあの夏。外にでれば海がみえた。きらきらひかる海。あの美しさは、まったくかわっていない。わたしたちは、この世になにを残すことができるのだろうか。恋に向かって駆け出す乙女の先にいた自分。知性というものでその衝動的な想いを抑圧することが、よい、とされた中学時代。死について、太宰治の本を読んで考えた中二の頃。死はまだまだ遠かったのに、悪いテストがかえってくると、窓から見えるあのマンションから飛び降りてみようか、など想った昔。  夏休みに、浦富海岸で、駆け出して泳いだ透明な海水。松田聖子の赤いスイトピーが流れていた頃、六つ年上の姉さんは、恋をしていた。恋に向かって駆け出していった姉さん。そんな姉さんを横目でみながら、勉強机に座ってた。それもこれもすべては遠い遠い昔だ、と風に揺れるレースのカーテンをみながら、想った。はるいろのきしゃにのって、うみへ、連れて行ってよ。それは、誰かの歌だけれども、教室の窓からみえるひがしへと向かう列車には、須磨海岸へそのようなカップルが乗っている。それは受験勉強から解放されたものが味わう特権なのだ。僕ではない誰かに恋をしている乙女の歌。年上のものにだけ許された青春のひとこま。それを想像しながら、ラジオに耳を傾けるのが、好きだった。はるいろ。ソソソミ。あっ、ベートーベンの運命の最初だ。運命はかく扉を開ける。そういうと、駆け足でやってくる運命の足音かと想うけれども、赤いスイトピーだと、ゆっくりとした、たばこのけむりをみあげる男の横でもじもじしている女の子が浮かぶ。まるであの頃の姉さんみたい。みんな赤いバンダナをカチューシャみたいにして、籠のバックをもっていたのんのん族。志郎ちゃん、と姉さんがあの頃くれたアルマーニ プールオム。おとなの香水をつけた方がもてるわよ、とふふふと笑ってた。実際、その香水をつけると、美術教室では、よいかおりねぇ、とうっとりされた。おとなのおとこをめざしていたあの頃。美術教室を出たら、ベランダからみえた海はまったくかわっていないのに僕は老いた。写真たての中の彼女をみる。モンアミ。僕は少し人生に疲れてしまったよ。  

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